懊悩煩悶ブログ

物欲にまみれたサラリーマンの悪戦苦闘記録

いわゆるひとつの動物的勘

ビジネスシーンで「KKD」という言葉を聞くことがあります。「KKD」は勘・経験・度胸の頭文字を取ったものです。

 

KKD」はたいていネガティブなイメージで語られます。古臭い昭和脳のおっさんサラリーマンは、勘と経験と度胸を拠り所にして仕事を進めます。たとえば生産計画を立案する時。あるいは新商品を企画する時。または来年度の予算を編成する時。仕事で意思決定を求められる時に、あやふやな勘、乏しい経験、思考停止でエイヤッとやってしまう度胸、こんなものをベースにしていたら誤った選択をしてしまいます。

 

実際、ビジネスの現場では売上や利益、費用や納期といった"数字"をコミットすることが求められます。上司に「この数字の根拠は何だ?」と質問されて「勘です」と返事したら、まず上司にどやされます。

 

ビジネスの場では「KKD」は忌むべき誤ったもので、事実(ファクト)に基づいた論理的思考こそが正しい解決方法だ、なんてことが言われます。

 

以上の話はもっともで、平時には勘と経験と度胸に頼らずに、論理的な意思決定をしなければなりません。

 

ところが、平時じゃない異常時、たとえば切羽詰まったトラブル対処などの修羅場では、忌むべきはずのアナクロな勘と経験と度胸が必要になってきます。ピンチを「KKD」で切り抜けなければならないシーンもあるのです。今日はそんな話です。

 

二つほど実体験を。若い頃、私はコンピューターのプログラマーでした。三十年以上前のことです。あるプロジェクトで自分が作ったプログラムの不安定な動作に悩まされていました。再現性のないバグ、というやつで一番やっかいな問題でした。

 

プログラムの納期が迫ってきて、このままでは納期遅延で大問題になるなぁというピンチでした。

 

プログラムのソースコードを穴の開くほど見つめて、バグの箇所を確定しようと長く悪戦苦闘していましたが、なかなかバグの箇所が見つかりませんでした。

 

もうだめか?と諦めかけていた時、フッと天啓が降りてきました。勘がソースコードのとあるポイントを指し示すのです。当たり。そこがバクの箇所でした。ソースコードを修正するとプログラムが安定動作するようになりました。納期も守ることができてピンチを切り抜けたのです。

 

この天啓が降りてくる経験は、プログラマーなら一度や二度はあるのではないでしょうか?理屈だけではなかなか説明がつかない現象です。

 

もうひとつ私の経験。十数年前にはUNIXサーバーを扱う仕事をしていました。ある時、客先で稼働している商用システムのハードディスクが障害を起こして、一台のサーバーが停止してしまいました。システムは二重化構成なので、サービスは継続していましたが、故障したマシンは一刻も早く復旧させる必要がありました。

 

しかし、保守の担当者が、定められた復旧手順に従って操作しても復旧できなかったのです。テンパった保守担当者はギブアップしてしまい、システムを構築した私にお鉢が回ってきました。システムを復旧せよと命令されました。

 

客先のマシンルームに押っ取り刀で駆けつけて、復旧手順書を眺めつつ故障したサーバーを調べていました。客は「早く直せ」と火のように煽ってきます。私は逃げられない大ピンチでした。

 

この時も天啓が降りてきました。復旧手順書に不備があることを勘で見つけて、正しい復旧手順を思いつきました。イチかバチかの賭けでしたが、その思いついた手順を試して、マシンの復旧に成功しました。

 

ここに挙げた二つの例は、私が体験した、動物的な勘でピンチを切り抜けたものです。この動物的な勘は超自然的な、オカルト的なものでしょうか?私はそうではないと考えます。

 

先年亡くなられたプロ野球選手の豊田泰光が、野球では勘が重要だと力説していました。そして勘は経験によって磨かれるものだ、とも述べていました。私もこの意見におおいに賛同します。

 

私が過去のピンチを勘で切り抜けられたのは、普段からセミナーなどで真面目に学習して、逃げずにトラブルシュートの仕事を喜んで引き受けていた経験がベースにあったためです。経験の積み重ねによって、火事場の馬鹿力的に勘が冴えわたる瞬間が訪れたのだと考えています。

 

勘と経験と度胸も捨てたものではない、という話でした。

 

それではまた。