懊悩煩悶ブログ

物欲にまみれたサラリーマンの悪戦苦闘記録

インシュリン注射はひとまず回避

今日、病院へ行って糖尿病の検査を受けてきました。先月と比べてHbA1cの値が8.8から7.9に低下していました。

 

お正月という暴飲暴食イベントが途中に挟まっている時期としては、上出来の結果です。

 

検査を受ける前はインシュリン注射に踏み切るべきか、と悩んでいましたが、主治医と相談した結果、投薬とダイエットを継続して様子をみようということになり、インシュリン注射は取りやめました。

 

この一ヶ月、正月休みを除外して何をやっていたかというと、まずちゃんと決められた薬を飲みました。間食をやめて夕食のサラダを増やしました。歩く量を増やし筋トレを行なって代謝量をアップさせました。

 

要するに、体重を減らすための各種施策を、途中で投げ出さずに続けたということです。こうやって、少しは結果が出てくると、やりがいも出てくるというものです。

 

とはいえ、まだまだ血糖値はとても正常値とは言えない高い値です。よりいっそうダイエット(食事療法)をがんばる必要があります。

 

もうひとつ、とっておきの策として「糖尿病治療のための入院」というのがあります。二週間、徹底した食事制限とインシュリン投与で、劇的に血糖値が下げられるらしいです。仕事があるので二週間入院するのはなかなか難しいですが、自力でのダイエットに行き詰まったら試してみたいと思います。

 

今日の病院では栄養士のお姉さんから耳よりなアドバイスをいただきました。「朝食のパンを食べる時に牛乳を飲むと、血糖値の上昇を抑えられる」というものです。さっそく明日から試してみます。

 

それではまた。

在宅勤務は従業員の権利ではない?

私が勤める会社も、来年度から大々的に在宅勤務制度を取り入れるということで、会社が用意した手引書を読んでみました。

 

冒頭、目につくのが「在宅勤務制度は従業員が主張できる権利ではなく、あくまでも生産性向上のための制度である」という文言でした。

 

野放図に在宅勤務制度を利用して、けじめがつかなくなることに釘を刺したものと思われます。性悪説を前提にした制度設計ですが、高いようでいて低い日本人サラリーマンの労働意識が根底にあると思っています。

 

私が勤める会社は、かつてフレックスタイム制度を採用していましたが、今は廃止しています。理由は明快で、社員、特に若手がダラダラと朝10時に出勤するのが常態になってしまったためです。単に始業時間がシフトしただけで、生産性の向上も何もありません。顧客が朝8時半に連絡してきた時に、社員がいないので対応できません、では企業の体をなしていません。

 

けじめがつけられない、メリハリを効かせられない日本人の働き方の真の姿が露呈してしまったもので、とても残念でした。(私も偉そうなことは言えません。私自身フレックスで朝10時出勤を繰り返していました。いったんルーズになるとなかなかやめられないんですね)

 

今、日本では働き方改革の動きがさかんで、在宅勤務制度を取り入れる企業も増えています。人口減による人手不足から、優秀な人材を確保するために在宅勤務制度があることをアピールする会社も多くなりました。

 

私も、年老いた親がいて介護という可能性もあり、在宅勤務制度には魅力を感じています。しかし、かつてのフレックスタイム制度のように、従業員が意識の低いまま制度を濫用して、やっぱり在宅勤務制度はダメだね、なんて流れになることを危惧しています。

 

アメリカのIBMやヤフーは、在宅勤務制度を取りやめてしまいました。また、よく言われることですが、アップルやグーグルといった先進企業は、在宅勤務制度を導入していません。企業側としては、できれば在宅勤務制度はやりたくないというのが本音でしょう。

 

在宅勤務制度を潰さないように、節度をもって利用していきたいものです。

 

あと、中間管理職としては、部下が「在宅勤務したい」と言ってきた時に認めるかどうかも難しい問題ですね。綺麗事ではなく、在宅勤務は間違いなく労働生産性が落ちます。来年度は悩むことになるんじゃないかと思っています。

 

それではまた。

インシュリン注射を打つのか?

糖尿病を患っており、HbA1cが8.8とかなり高い数字になっています。血液検査の結果、膵臓からのインシュリン分泌量が減っていることが判明しています。膵臓が酷使されて弱ってきている、ということです。

 

前回の検査時に、主治医から「投薬による治療は限界だ、インシュリン注射を打つようにしなさい」と言われました。しかし正直注射は好きではありません。自分で自分に注射を打つなんて考えたくもないです。

 

ただ、薬を飲んでもダイエットしても血糖値が全く下がらないのです。今度の土曜日に病院で検査を受けますが、おそらく症状は改善しておらず、「インシュリン注射を打ちまーす」と宣言せざるを得なくなるでしょう。今のままで年をとると、足を切断することにもなりかねません。

 

私は、うつ病ではなく糖尿病のために会社から就業制限をかけられている珍しい人間です。会社の産業医からは、「インシュリン注射を打つようになって、血糖値管理が楽になってよかった、という人が大勢いるよ」と言われています。耳寄りな情報なので前向きに捉えたいです。

 

考えて見れば、自分で自分に注射を打つ絵面というのも笑えてブログネタとしておいしい感じがします。

 

インシュリン注射には、針とシリンダーとピストンのいわゆる注射器を使うものと、バネ仕掛けでバシッと針を打ち込むものの二種類があるようです。どちらが効き目があるのか、土曜日に聞いてこようと思います。

 

とりあえず、土曜日の経過を追って報告します。

 

それではまた。

いわゆるひとつの動物的勘

ビジネスシーンで「KKD」という言葉を聞くことがあります。「KKD」は勘・経験・度胸の頭文字を取ったものです。

 

KKD」はたいていネガティブなイメージで語られます。古臭い昭和脳のおっさんサラリーマンは、勘と経験と度胸を拠り所にして仕事を進めます。たとえば生産計画を立案する時。あるいは新商品を企画する時。または来年度の予算を編成する時。仕事で意思決定を求められる時に、あやふやな勘、乏しい経験、思考停止でエイヤッとやってしまう度胸、こんなものをベースにしていたら誤った選択をしてしまいます。

 

実際、ビジネスの現場では売上や利益、費用や納期といった"数字"をコミットすることが求められます。上司に「この数字の根拠は何だ?」と質問されて「勘です」と返事したら、まず上司にどやされます。

 

ビジネスの場では「KKD」は忌むべき誤ったもので、事実(ファクト)に基づいた論理的思考こそが正しい解決方法だ、なんてことが言われます。

 

以上の話はもっともで、平時には勘と経験と度胸に頼らずに、論理的な意思決定をしなければなりません。

 

ところが、平時じゃない異常時、たとえば切羽詰まったトラブル対処などの修羅場では、忌むべきはずのアナクロな勘と経験と度胸が必要になってきます。ピンチを「KKD」で切り抜けなければならないシーンもあるのです。今日はそんな話です。

 

二つほど実体験を。若い頃、私はコンピューターのプログラマーでした。三十年以上前のことです。あるプロジェクトで自分が作ったプログラムの不安定な動作に悩まされていました。再現性のないバグ、というやつで一番やっかいな問題でした。

 

プログラムの納期が迫ってきて、このままでは納期遅延で大問題になるなぁというピンチでした。

 

プログラムのソースコードを穴の開くほど見つめて、バグの箇所を確定しようと長く悪戦苦闘していましたが、なかなかバグの箇所が見つかりませんでした。

 

もうだめか?と諦めかけていた時、フッと天啓が降りてきました。勘がソースコードのとあるポイントを指し示すのです。当たり。そこがバクの箇所でした。ソースコードを修正するとプログラムが安定動作するようになりました。納期も守ることができてピンチを切り抜けたのです。

 

この天啓が降りてくる経験は、プログラマーなら一度や二度はあるのではないでしょうか?理屈だけではなかなか説明がつかない現象です。

 

もうひとつ私の経験。十数年前にはUNIXサーバーを扱う仕事をしていました。ある時、客先で稼働している商用システムのハードディスクが障害を起こして、一台のサーバーが停止してしまいました。システムは二重化構成なので、サービスは継続していましたが、故障したマシンは一刻も早く復旧させる必要がありました。

 

しかし、保守の担当者が、定められた復旧手順に従って操作しても復旧できなかったのです。テンパった保守担当者はギブアップしてしまい、システムを構築した私にお鉢が回ってきました。システムを復旧せよと命令されました。

 

客先のマシンルームに押っ取り刀で駆けつけて、復旧手順書を眺めつつ故障したサーバーを調べていました。客は「早く直せ」と火のように煽ってきます。私は逃げられない大ピンチでした。

 

この時も天啓が降りてきました。復旧手順書に不備があることを勘で見つけて、正しい復旧手順を思いつきました。イチかバチかの賭けでしたが、その思いついた手順を試して、マシンの復旧に成功しました。

 

ここに挙げた二つの例は、私が体験した、動物的な勘でピンチを切り抜けたものです。この動物的な勘は超自然的な、オカルト的なものでしょうか?私はそうではないと考えます。

 

先年亡くなられたプロ野球選手の豊田泰光が、野球では勘が重要だと力説していました。そして勘は経験によって磨かれるものだ、とも述べていました。私もこの意見におおいに賛同します。

 

私が過去のピンチを勘で切り抜けられたのは、普段からセミナーなどで真面目に学習して、逃げずにトラブルシュートの仕事を喜んで引き受けていた経験がベースにあったためです。経験の積み重ねによって、火事場の馬鹿力的に勘が冴えわたる瞬間が訪れたのだと考えています。

 

勘と経験と度胸も捨てたものではない、という話でした。

 

それではまた。

ブログで言いたいことが言えない

ブログをぼちぼちと始めてみたものの、「思ったより自由に言いたいことが書けないな」というのが正直な感想です。

 

頭の中には、明確なメッセージはあるんですよ。システム手帳をネタ帳にして、そのメッセージはたくさん書きつけてある。しかし、いざひとかたまりの文章として文字に書き出してみると、そのメッセージがぼやけてしまったり、何が言いたいのかよくわからないセンテンスになってしまう。結局、頭のメッセージを形あるものとして作れない、ここがもどかしいところであります。

 

ひとえに、文章技術の練度が低いせいではあるのですが、闇雲に文章をたくさん書けば文章が上達するというものでもないと思っています。作家の村上春樹は、文章を書く技術は天賦の才で、後天的には身につけられない、みたいなことを言っています。おそらくその通りでしょう。

 

自分に文才があるかないか。匿名であってもブログを書いて世に公表しようなどと考える人間は、「自分には文才がある」と自惚れているんじゃないかと思います。実際にはそんなことはありませんね。自分でも文才が無いのはわかっています。

 

でもまあ、文章が下手だからブログを公開するな、と言われることがまず無いのがブログの良いところです。楽しみながらコツコツと書き続けていこうと思います。書くだけではつまらないので、いろいろ文章作法の本を読みつつ、文才が無いなりにまともな文章を書けるようになったらいいなと考えています。

 

それではまた。

クリスマス(イブ)には部下を定時で帰そう

タイトルで言いたいことは言い切っていますが、年の瀬になると思い出すことがあります。昔、大きなプロジェクトを進めていて、課長として部下たちと毎日残業して対応していました。会社の売上増につながるので、私自身はモチベーションが高い状態で、ガンガン長時間労働をしてもへっちゃらでした。

 

クリスマスが近くなった頃、私が尊敬する部長が、私を読んでこう告げました。「プロジェクトが忙しいのはわかるが、クリスマスイブとクリスマスの二日間は、部下を定時で帰宅させろ。それが人心掌握のコツだぞ」

 

つまり、クリスマスは家族や恋人とゆっくり過ごせるように、部下に配慮しろというのです。

 

独り身で家族も恋人もいない私は、常日頃「クリスマスもバレンタインデーもくそくらえだ」と嘯く中二病人間でした。そんな私がクリスマスも部下を残業で拘束することを牽制するための、部長の一言でした。

 

確かに図星で、イブもクリスマスもぶっ通しで部下に残業をさせようと企んでいました(もちろん、私だけ先に帰るということはありません。一緒に残って監督するのです)。

 

定時で帰らせろって、いやいや仕事のほうが大切でしょ、仕事がたくさんあるんだから、と当時イケイケドンドンだった私は考えましたが、尊敬する部長の言うことなので、そんなものかなあと思いつつ再考せざるをえません。部下には「イブとクリスマスには定時で帰っていいよ」と言い、残った仕事は私が深夜まで働いて片付けました。

 

これで部下たちは私に恩義を感じて、心服してくれたのかどうかはよくわかりません。とにもかくにもそれ以降私は毎年12月24日と25日は部下を定時で帰すようになりました。

 

ワークライフバランスを深く考えるようになった今では、特別な日に部下を残業から解放するのは良いことだと思えるようになりました。独り身の私でも、クリスマスで街がイルミネーションに彩られると、心がウキウキしてきます。家族や恋人と過ごせる人はもっとたのしいだろうなあと考えることにしました。

 

世の管理職の皆さん、イブとクリスマスぐらいは部下を定時で帰宅させてみては?

 

それではまた。

モレスキン対ロディア ラマ対ロイヒトトゥルム

表紙が硬くて180度ぺたんと開いてゴム紐で閉じることができるノートのブランドといえば、

が有名なところでしょうか。ページ数が多いことと、少々お値段が高いことも三者は共通しています。

 

私はモレスキンを好んで使っています。「高額なわら半紙」と揶揄されて、とかく紙の質が値段に見合っていないと批判されるモレスキンですが、妙な魅力というか魔力があります。

 

とにかく文字を書いていて楽しいのです。いくら文章をたくさん書いても、飽きることのない不思議なノートです。(ただし筆記用具を選びます。万年筆はプラチナのインク以外は裏抜けしてしまいます)

 

じゃあモレスキン一辺倒かというとそんなことはなくて、より良い書き味のノートを探し求めていろいろ試行錯誤しています。ロディアのラマを手に入れました。高級な「ベラム紙」という紙を使っています。

 

ロディアのラマですが、見た目がモレスキンと似ていますが、使った感触は異なります。文字を書いていてもあまり楽しくありません。モレスキンよりも紙が高級なはずなのに、です。このあたりは試しに使ってみてくださいとしか言えません。書いていて、単純作業をやっているな、思ってしまうのがロディア ラマです。

 

数年前は入手しづらかったロイヒトトゥルムですが、最近丸善伊東屋といった都内の大手文具店で大々的に取り扱うようになり、入手しやすくなりました。私もラージサイズとポケットサイズのノートを数冊買い込みました。

 

ただ、ロイヒトトゥルムはまだ使ったことがありません。今、会社で会議の議事メモを取るのに使っているモレスキンを使い切ったら、ロイヒトトゥルムに切り替えてみようと思います。その時に使用感などをお伝えできれば、と考えています。

 

ロイヒトトゥルムの特徴は、各ページにページ番号が振ってあることと、後ろのほうのページにミシン目がはいっており、切り離せるという二つです。ページ番号は便利ですがミシン目はちょっと意図がわからない仕様ですね。

 

モレスキン「のような」ノートは他にもたくさんあります。それらのノートも使ってみてレビューできたらと思います。

 

それではまた。